理想を下げると
不思議なもので、理想に到達できないからと、理想を下げると、実際の到達度も下がってしまう。理想をどこに設定するかは難しい問題だ。
アカデミズムとアクティビズム
大学人は中立的でなければならない、という考え方がある。その一方で、規範に関わる学問分野にいる人は、教科書書きに終始するのではない限り、何らかの規範的立場を主張せざるを得ない。しかし、理論的主張をするだけで、それを実践に移さないことは誠実だろうか。ここに倫理学に関わる大学人のジレンマがあるように思われる。
哲学と将棋
シンガーが若き日のパーフィットのことを哲学におけるグランドマスターと思ったという話を読んでこのアナロジーについて考えている。
哲学がゲームのように人々に考えられる懸念、また実際に「この手に対してはこの手とこの手があるよ」というゲーム感覚になっている観が分析哲学になくはないだろう。
しかし、やはり定跡を学ぶことは重要で、また現在どのような問題があり、そこから先に進むにはどのような手が考えられるのかを検討することは重要だ。難局を切り抜ける手を編み出す必要がある。
もう一つは、この考え方をする場合、差し手として考えるか、コメンテーターとして考えるのかという違いがある。後者ならば定跡だけ覚えれば良い。しかし、前者であればその上で新しい一手を考えつかなければならない。