哲学者と常識

「なぜ警察官になろうと思ったのですか」という問いは(ほぼ)額面通りに受け取ればよいが、「なぜ哲学者になろうと思ったのですか」という問いはむしろ「なぜいつまでも子どもを卒業せず大人になろうとしないのですか」という問いと理解した方がよい。とはいえ哲学者と子どもでは次の点が異なる。子どもとはまだ常識を学んでいない状態であるが、哲学者とは常識を学び損ねた状態である。その意味では上の問いは「いい年になっても哲学をしている人を見るともう殴ってやりたくなるのだ」というカリクレスの批判の婉曲表現である。

では人々は哲学者に何を求めているのか。ありがたい話である。しかし、ありがたい話とは何か。心温まる話、社会批判(しかし聴衆の批判ではない)、「他人に親切にしましょう」といった単純な話を難しく語ることであり、非常識な話のことではない。たとえ哲学者が魂につける薬を持っていたとしても、それはおそらく一般人の望むものではない。